(   セ  ノ  ハ  チ  )
( 国鉄幹線の西の難所、山陽本線上り・瀬野ー八本松間の記録です。)
山陽本線上りの、瀬野→八本松間は、10km以上にわたって連続した1000分の22.6の上り勾配が続き、非電化時
代の列車にとっては、西の箱根と言われた最大の難所で、そのため、ここを越える全ての列車に補機がつきました。
私の行き来した昭和30年代には、瀬野機関区に14〜15台のD52蒸気機関車が配置され、瀬野で後部補機につい
て、後押しの役目を担っていました。ただ、「かもめ」など特急列車は瀬野には停めないで、広島で後部連結して、瀬野は
通過していました。
これら後部補機用のD52は、任務の終わった八本松で列車を止めて連結開放しなくて良いように、連結器自動開放装
置が取り付けられ、八本松構内で大半の列車が走行開放しておりました。
瀬野機関区 (広島方から構内を望む) (S36-3-16)
瀬野機関区 (広島方から構内を望む)      (S36-3-16)
急行「筑紫」の後部補機 D52131 (S33-1-17) (瀬野駅)
急行「筑紫」の後部補機 D52131       (S33-1-17)    (瀬野駅)
「筑紫」の後部補機走行開放 (S33-1-7) (八本松構内)
「筑紫」の後部補機走行開放  (S33-1-7)  (八本松構内)
この時には、自動開放装置の作動確認のためか、補機の前部に張り付いた乗務員の姿が見えます。
「セノハチ」を登る特急 「かもめ」 (S34-3-14)
「セノハチ」を登る特急「かもめ」               (S34-3-14)
「かもめ」から走行開放されたD52464 (S34-3-14)
「かもめ」から走行開放されたD52463    (S34-3-14)
八本松駅構内 (西方) (上り「かもめ」より) (見える機関車はD52463) (S34-3-14)
八本松駅構内(西方)(上り「かもめ」より)(見える機関車はD52463)  (S34-3-14)
昭和34年にはまだ電化の工事にかかっておらず、新しい電柱が建っておりませんでしたが・・・・・。
八本松駅構内 (下り「かもめ」より) (停車している機関車は補機の務めを終えたD52398) (S37-11-6)
八本松駅構内(下り「かもめ」より)(停車している機関車は補機の務めを終えたD52398)  (S37-11-6)
この頃には、電化工事も大分進み、ここでは架線がもう張られています。因みに、山陽本線全線電化開通は、昭和
39年10月1日でした。
「セノハチ」を下る、下り「かもめ」 (S37-11-6)
「セノハチ」を下る、下り「かもめ」            (S37-11-6)
この「セノハチ」のページを作っていて、子供の唱歌が思い出されました。本居長世作詞の「汽車ポッポ」です。
お山の中行く汽車ポッポ  
ポッポポッポ黒いけむを出し シュシュシュシュ白いゆげ吹いて
汽関車と汽関車が 前引き後押し
何だ坂こんな坂 何だ坂こんな坂
トンネル鉄橋ポッポポッポ トンネル鉄橋シュシュシュシュ
トンネル鉄橋トンネル鉄橋 トンネルトンネルトントントントン
のぼりゆく
「セノハチ」は、まさにこの詞にぴったりの箇所ではないでしょうか。