(復)

学生時代最後の冬休みを札幌で楽しく過ごしました。生まれて初めての冬の北海道は、関西人の私には見るもの、
聞くものが珍しく、いい経験をしました。特に雪道を、雪埃を上げながら車が行き交う様には目を瞠りました。
当時の、札幌の乗り物です。
市内定期観光バスのチケット
札幌市内定期観光バス (S35-12-29)
札幌市内定期観光バス      (S35-12-29)
市内定期観光バスのチケット
札幌市電D1022 (一条線・一条橋行) (S35-12-26) (丸井前)
札幌市電 D1022(一条線・一条橋行)   (S35-12-26) (丸井前)
定山渓鉄道クハ1111 (S35-12-31) (豊平駅)
定山渓鉄道 クハ1111+モハ1101    (S35-12-31) (豊平駅)
(札幌市電、定山渓鉄道のデータは、札幌にお住まいの「0型台風」様にアドバイス頂きました。有難うございました。)
札幌で正月を過ごし、1月2日いよいよ帰阪の途につきます。
重複しますが、帰りのスケジュールです。
S36-01-02:
札幌発17:57--→急行「大雪」(2レ)(函館本線経由)--→函館着23:25  函館発23:55-→青函連絡船「十和田丸」(12便)--
01-03:
-→青森着4:35   青森発5:00--→特急「はつかり」(2D)--→上野着16:30    東京発21:00--→急行「銀河」(15レ)--
01-04:
-→大阪着7:20
帰りのスタートは、札幌発17:57、函館本線経由函館行急行「大雪」(2レ)です。この列車の始発は旭川です。
この「大雪」には、「ハ」の座席指定車がありましたので、大阪出発前に、「座席指定券」を購入してきました。
急行「大雪」の座席指定券
急行「大雪」の座席指定券
(1) 札幌出発時の列車編成です。牽引機は、D51439(築)で小樽までです。(札幌ー小樽間) (進行方向、=⇒ 函館)
  J     I     H     G     F     E     D     C      B     A     @           牽引機
スハフ
443
+
スハ
4539
+
オハ
35130
+
スハフ
4411
+
スハ
4526
+
スハ
4515
+
スハ
4513
+
スハシ
29101
+
オロ
3566
+
スロ
525
+
オハ
36172
+
オユ
102
+
D51439
発車時刻
定刻では、17:57の発車予定でしたが、到着が
遅れ、定刻より10分遅れの18:07に札幌を発車
しました。
(2) 小樽で牽引機の交替です。メインにC6232(築)がつき、前部補機にC6227(築)がついて、長万部までC62の重連
です。                                                 (小樽ー長万部間)
    J     I     H    G     F     E     D     C     B     A     @          牽引機  前部補機
スハフ
443
+
スハ
4539
+
オハ
35130
+
スハフ
4411
+
スハ
4526
+
スハ
4515
+
スハ
4513
+
スハシ
29101
+
オロ
3566
+
スロ
525
+
オハ
36172
+
オユ
102
+
C6232
+
C6227
(3) 長万部で前部補機が交替し、D51333(函)がつきました。終着函館まで、これまたD51とC62の重量級の重連です。
                                                (長万部ー函館間)
  J     I    H     G     F    E     D     C    B     A     @          牽引機  前部補機
スハフ
443
+
スハ
4539
+
オハ
35130
+
スハフ
4411
+
スハ
4526
+
スハ
4515
+
スハ
4513
+
スハシ
29101
+
オロ
3566
+
スロ
525
+
オハ
36172
+
オユ
102
+
C6232
+
D51333
急行「大雪」は、途中で遅れを取り戻し、函館に定刻23:25に到着しました。
乗り継ぎは、函館発23:55青函連絡船(12便)で、この日は「十和田丸」でした。日本交通公社の時刻表によりますと
「十和田丸」  総屯数=6,148屯  定員:1等寝台=54名、1等指定席=67名、1等=349名、2等=1,000名
となっております。この日は正月明けで、本州に帰る人でほぼ定員一杯の乗船率でした。
函館定刻の出港で、青森着1月3日4:35です。このあと、登場間もない待望のキハ80系「はつかり」に乗車です。
このキハ80系「はつかり」は、初のディーゼル特急として画期的な登場でした。後に改良が加えられたキハ82系が大量
製造され、全国の非電化幹線に特急網が引かれましたが、その端緒となった意義でも忘れられない存在です。
次の写真は、営業運転開始前に、国鉄技術研究所で一般公開されたときのものです。
国鉄・技術研究所にて (S35-10-15)
国鉄・技術研究所にて          (S35-10-15)
キハ80系「はつかり」の営業開始は、昭和35年12月10日で、翌年2月のダイヤ改正までは、客車特急「はつかり」と
同じダイヤで運行されました。運行時刻は下記の通りです。
下り「はつかり」(1D)   上野発12:30 → → → 青森着23:58
上り「はつかり」(2D)   青森発 5:00 → → → 上野着16:30
「十和田丸」を下船すると、青森駅のホームには「はつかり」がすでに入線しており、いよいよ乗車し、青森定刻発車です。
この日の編成です。                                        (進行方向 =⇒ 上野)
          H     G      F      E      D     C      B      A      @
キハ
816
+
キハ
803
+
キハ
807
+
キハ
809
+
キハ
8012
+
キサシ
803
+
キロ
805
+
キロ
802
+
キハ
815
    ( 車両の製造所は、@,H:帝国車輌、A:新潟鉄工、B,C:日立製作所、D:日本車輌、E,F:東急車輌、G:富士車輌 )
「はつかり」特急券
「はつかり」特急券
食堂車(キサシ)内の「走行位置表示板」 「はつかり」のサボ
食堂車(キサシ)内の「走行位置表示板」
「はつかり」のサボと「号車板」(尾久客)
停車駅は、「青森」を出ると「尻内」(現「八戸」)、「盛岡」、「一ノ関」、「仙台」、「平」(現「いわき」)、「水戸」、「上野」です。
「はつかり」(2D)(キハ816)    (S36-1-3)     (盛岡駅)
「はつかり」(2D)(キハ816)     (S36-1-3)    (一ノ関駅)
この「はつかり」に初めて、気動車の食堂車(キサシ)
導入されました。
営業は、「日本食堂」で、右のパンフレットを作り、車内で
配布しておりました。
食堂メニュー、売店メニューから「キサシ」の説明までして
あります。
「日本食堂」の営業意欲が窺え、当時の食堂車の諸料金
を知る上でも、大変興味深いパンフレットです。
( 右の写真をクリックすると拡大内容が見られます )
平を出ますと、水戸までの間で下り「はつかり」と対向します。頃合を見計らって後部の車掌室に行き、車掌さんに写真を
撮らせて欲しい旨を話しますと、気安く車掌室に入れてくれました。ダイヤを見て、凡その対向時間まで教えてくれました。
時間が近づくと、車掌室の窓から首を出し、下りの姿を確認して車内でカメラを構えて撮ったのが下の写真です。
下り「はつかり」(1D)    (S36-1-3)  (常磐線・日立ー小木津間)
青森を、5:00に出発して11時間30分、上り「はつかり」は定刻の16:30に無事上野に到着です。
私としましては、所期の目的を支障なく達成でき、大満足でした。
この後は、食事などで時間をつぶし、この度の旅行の最終列車となる急行「銀河」に東京駅から乗車します。
急行「銀河」(15レ)(神戸行) 東京発21:00 牽引機はEF5888(宮)です。      (進行方向 =⇒ 神戸) 
        M      L     K      J      I     H      G      F
スハフ
42329
+
スハ
43477
+
スハ
43482
+
スハ
43480
+
スハ
43476
+
ナハネ
10100
+
ナハネ
1063
+
スハネ
3012
+
                                E      D     C      B      A     @            牽引機
スハネ
3016
+
スロ
5419
+
スロ
5444
+
スロ
5447
+
マロネ
417
+
マロネ
403
+
マニ
3279
+
EF5888
さすが東海道本線の夜行急行で、牽引機も含むと16両の長大編成でした。下は「銀河」に乗車した時の急行券です。
昭和36年1月4日7:20に急行「銀河」大阪到着で、無事帰阪しました。
大阪を出て、札幌往復の延べ乗車船時間は65時間27分、学生ならではの長旅でした。疲れましたが、私にとっては
生涯忘れられない鉄道旅行となりました。
長々のお付き合い有難うございました。