(往)

昭和35年12月10日に、上野ー青森間の特急「はつかり」が、ボンネットタイプの気動車キハ80系で運行開始
されました。 一度是非乗っておきたいという思いに駆られ、学生最後の冬休みに、札幌に住む叔父を訪ね、その
帰途「はつかり」に乗る計画を立てました。
急ぐ旅ではなく、列車に乗るのが目的でしたので、札幌往復の全列車の記録をとることをテーマに出発しました。
その時のスケジュールです。
S35-12-24:
大阪発23:00--→急行「日本海」(501レ)
12-25:
--→青森着22:04      青森発23:20-→青函連絡船「羊蹄丸」(11便)--
12-26:
-→函館着3:50    函館発5:10--→急行「石狩」(1101レ)(室蘭本線経由)--→札幌着11:05
S36-01-02:
札幌発17:57--→急行「大雪」(2レ)(函館本線経由)--→函館着23:25  函館発23:55-→青函連絡船「十和田丸」(12便)--
01-03:
-→青森着4:35   青森発5:00--→特急「はつかり」(2D)--→上野着16:30    東京発21:00--→急行「銀河」(15レ)--
01-04:
-→大阪着7:20
[ 乗車券 ]
(北陸本線・奥羽本線・青函連絡船・
函館本線・千歳線・静狩)経由
(函館本線・青函連絡船・
東北本線・東海道本線)経由
大阪ー札幌の往復で19日間も通用期間がありました。
いよいよ出発です。                                  (進行方向は、=⇒ 青森です)
昭和35年12月24日 大阪発23:00 青森行急行「日本海」(501レ)に乗車です。牽引機はEF5877(米)です。
(1)  大阪出発時の編成です。(大阪ー米原間)
@
A
B
C
D
E
F
(増)
G
H
I
J
牽引機
マニ
60219
+
オユ
107
+
マロネフ
2911
+
ナハネ
1054
+
スロ
502
+
オロ
3552
+
スシ
4812

+
オハ
4610
+
オハ
469
+
オハ
4642
+
オハ
4613
+
オハ
4612
+
スハフ
42200
+
スハフ
42151
+
EF5877

(2) 米原でEF5877機が、D51893(米)+マヌ346に替わります。(米原ー田村間)
@
A
B
C
D
E
F
(増)
G
H
I
J
牽引機
マニ
60219
+
オユ
107
+
マロネフ
2911
+
ナハネ
1054
+
スロ
502
+
オロ
3552
+
スシ
4812

+
オハ
4610
+
オハ
469
+
オハ
4642
+
オハ
4613
+
オハ
4612
+
スハフ
42200
+
スハフ
42151
+
マヌ
346
+
D51893

(3) 田村で又機関車が交替です。田村ー敦賀間が交流電化区間ですので、交流電機のED708(敦)にバトンタッチです。
                                                          (田村ー敦賀間)
@
A
B
C
D
E
F
(増)
G
H
I
J
牽引機
マニ
60219
+
オユ
107
+
マロネフ
2911
+
ナハネ
1054
+
スロ
502
+
オロ
3552
+
スシ
4812

+
オハ
4610
+
オハ
469
+
オハ
4642
+
オハ
4613
+
オハ
4612
+
スハフ
42200
+
スハフ
42151
+
マヌ
346
+
ED708
[ 夜間で撮影できませんでしたので、同タイプの、「ED70」「マヌ34」をご紹介します。]
ED708          (S33-5-1)   (米原)
マヌ34         (S33-5-1)   (米原)
(4) 敦賀から又非電化区間に入りますので機関車交替です。ED708とマヌ346は務めを終えました。   
替わって、牽引機はDF50511(敦一)、今庄まで後部補機にD51623(今)がつきました。(敦賀ー今庄間)
後部補機
@
A
B
C
D
E
F
(増)
G
H
I
J
牽引機
D51623
+
マニ
60219
+
オユ
107
+
マロネフ
2911
+
ナハネ
1054
+
スロ
502
+
オロ
3552
+
スシ
4812

+
オハ
4610
+
オハ
469
+
オハ
4642
+
オハ
4613
+
オハ
4612
+
スハフ
42200
+
スハフ
42151
+
DF50511
[ DF50511機も夜間で撮影できませんでしたので、同型機をご紹介します。]
DF50510               (S35-5-6)     (今庄)
(5) 今庄で、後部補機が役目を終わり切り離されました。この後は、富山までDF50511の単独牽引です。(今庄ー富山間)
@
A
B
C
D
E
F
(増)
G
H
I
J
牽引機
マニ
60219
+
オユ
107
+
マロネフ
2911
+
ナハネ
1054
+
スロ
502
+
オロ
3552
+
スシ
4812

+
オハ
4610
+
オハ
469
+
オハ
4642
+
オハ
4613
+
オハ
4612
+
スハフ
42200
+
スハフ
42151
+
DF50511
(6) 富山で又牽引機が蒸機に替わり、寝台車の@、A号車が切り離されました。牽引機はC5723(富)です。
(富山ー直江津間)
B
C
D
E
F
(増)
G
H
I
J
牽引機
マニ
60219
+
オユ
107
+
スロ
502
+
オロ
3552
+
スシ
4812

+
オハ
4610
+
オハ
469
+
オハ
4642
+
オハ
4613
+
オハ
4612
+
スハフ
42200
+
スハフ
42151
+
C5723
(7) 直江津で又機関車の交替です。今度はC57178(潟)で新津までです。客車の編成は変わりません。(直江津ー新津間)
B
C
D
E
F
(増)
G
H
I
J
牽引機
マニ
60219
+
オユ
107
+
スロ
502
+
オロ
3552
+
スシ
4812

+
オハ
4610
+
オハ
469
+
オハ
4642
+
オハ
4613
+
オハ
4612
+
スハフ
42200
+
スハフ
42151
+
C57178
[ 直江津での牽引機交替 ]
切り離されるC5723(富)      (S35-12-25)  (直江津)
新たに繋がれたC57178(潟)     (S35-12-25)  (直江津)
(8) 新津で又機関車が交替します。今度はC5731(潟)で秋田まで牽引します。(新津ー秋田間)
B
C
D
E
F
(増)
G
H
I
J
牽引機
マニ
60219
+
オユ
107
+
スロ
502
+
オロ
3552
+
スシ
4812

+
オハ
4610
+
オハ
469
+
オハ
4642
+
オハ
4613
+
オハ
4612
+
スハフ
42200
+
スハフ
42151
+
C5731
(9) 秋田で、客車のJ号車と牽引機C5731が切り離され、牽引機は最終の青森までを担当するディーゼル機の
DF50538(弘)に替わりました(秋田ー大館間)
B
C
D
E
F
(増)
G
H
I
牽引機
マニ
60219
+
オユ
107
+
スロ
502
+
オロ
3552
+
スシ
4812

+
オハ
4610
+
オハ
469
+
オハ
4642
+
オハ
4613
+
オハ
4612
+
スハフ
42200
+
DF50538
(10) 大館で、後部に補機D51232(弘)が付き、大鰐まで後押しします。(大館ー大鰐間)
後部補機
B
C
D
E
F
(増)
G
H
I
牽引機
D51232
+
マニ
60219
+
オユ
107
+
スロ
502
+
オロ
3552
+
スシ
4812

+
オハ
4610
+
オハ
469
+
オハ
4642
+
オハ
4613
+
オハ
4612
+
スハフ
42200
+
DF50538
(11) 大鰐で、後部補機が役目を終えて切り離され、大釈迦までDF50538の単機牽引です。(大鰐ー大釈迦間)
B
C
D
E
F
(増)
G
H
I
牽引機
マニ
60219
+
オユ
107
+
スロ
502
+
オロ
3552
+
スシ
4812

+
オハ
4610
+
オハ
469
+
オハ
4642
+
オハ
4613
+
オハ
4612
+
スハフ
42200
+
DF50538
(12) 大釈迦で、又後部補機D51548(弘)が付き、鶴ヶ坂まで後押しします。(大釈迦ー鶴ヶ坂間)
後部補機
B
C
D
E
F
(増)
G
H
I
牽引機
D51548
+
マニ
60219
+
オユ
107
+
スロ
502
+
オロ
3552
+
スシ
4812

+
オハ
4610
+
オハ
469
+
オハ
4642
+
オハ
4613
+
オハ
4612
+
スハフ
42200
+
DF50538
(13) 鶴ヶ坂で、後部補機が切り離され、いよいよ終着駅青森まで最後のランです。(鶴ヶ坂ー青森間)
B
C
D
E
F
(増)
G
H
I
牽引機
マニ
60219
+
オユ
107
+
スロ
502
+
オロ
3552
+
スシ
4812

+
オハ
4610
+
オハ
469
+
オハ
4642
+
オハ
4613
+
オハ
4612
+
スハフ
42200
+
DF50538
急行「日本海」は、12月24日23:00に大阪を出発し、23時間04分のロングランの後、25日22:04無事青森に
到着しました。こうして振り返ってみますと、13回も編成が変わっております。当時の長距離列車の大変だったことが改
めてよく分かりました。
[ 参考資料 ]
(昭和29年6月発行の急行「にっぽんかい」号食堂車のパンフレットを「たーサン」から頂きま
したのでご紹介します。)
急行「にっぽんかい」号列車食堂案内     (表面)    (裏面)
青森からの青函連絡船は、23:20発の「11便」で、この日は「羊蹄丸」です。
当時の日本交通公社の時刻表によりますと、
「羊蹄丸」  総屯数=5,822屯  定員:1等寝台=44名、1等指定席=60名、1等=406名、2等=878名
となっております。学生の身分ですから、勿論2等室です。
定刻の出港で、函館着12月26日3:50です。大阪を出て、3日目に入りました。
函館からは、5:10発 函館本線、室蘭本線、千歳線経由の札幌行急行「石狩」です。
編成は次の通りで、牽引機はC5744(築)+C57193(苗)の重連で札幌までの通しでした。
      (函館ー札幌間)    (進行方向は、=⇒ 札幌)
@
A
B
C
D
E
F
(回送)
(回送)
牽引機
牽引機
スハフ
445
+
スロ
521
+
スハシ
386
+
スハ
4544
+
スハ
4516
+
スハ
455
+
スハフ
4416
+
スハ
32233
+
スハフ
32263
+
C57193
+
C5744
C5744+C57193 (札幌行急行「石狩」)   (S35-12-26) (東室蘭駅)
東室蘭駅            (S35-12-26)
上の写真は、東室蘭での停車時間を利用して撮ったものですが、広々としたプラットホームの上屋のないところは
一面さらさらの雪で覆われ、それが朝の太陽を受けてまぶしく輝き、まさに別世界に来た印象で感激しました。
このあと、急行「石狩」は苫小牧から千歳線を経由し、札幌に11:05定刻に到着、大阪を出て36時間05分の
長旅にピリオドを打ちました。
年末から正月にかけて、叔父の家を拠点に観光やスキーを楽しんだ後、1月2日に帰阪の旅に付きますが、その
報告は、次ページ「大阪ー札幌ー大阪」(復)でいたします。